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ベガ(1990年3月8日 - 2006年8月16日)は日本の競走馬、繁殖牝馬。 1993年に中央競馬でデビュー。武豊を主戦騎手として同年の桜花賞、優駿牝馬(オークス)の牝馬クラシック二冠を制し、JRA賞最優秀4歳牝馬に選出された。その後は不振に陥り、翌1994年の宝塚記念で骨折を生じたことにより引退。以後は繁殖牝馬として、東京優駿(日本ダービー)に優勝したアドマイヤベガ、GI競走7勝を挙げたアドマイヤドンなどの活躍馬を輩出した。 ''※馬齢は日本で2000年以前に使用された表記(数え年)で記述する。'' == 経歴 == === デビューまで === 1990年、北海道早来町の社台ファーム早来に生まれる。父は1988年の凱旋門賞などを制し、社台グループが購買し輸入した新種牡馬トニービン。母アンティックヴァリューは20世紀最高の種牡馬といわれたノーザンダンサーの直仔で、その血統を求めていた社台の総帥・吉田善哉の肝煎りで輸入された馬だった〔木村(2000)p.13〕。 アンティックヴァリューには脚部が不自然に内側に曲がっている「内向」という身体的特徴があり〔木村(2000)p.15〕、本馬も成長と共に左前脚が曲がり始め、やがて誰の目にも判別できるほどひどい内向となった〔木村(2000)p.17〕。このため牧場では「競走馬になれれば御の字」という見方も生まれ〔木村(2000)p.19〕、現実にも少しのことで脚部に異常を生じ、育成調教も順調に進まなかった〔木村(2000)p.21〕。しかし2歳(1991年)秋から試験的に坂路コースでの調教を始められると、比較的脚部への影響が少ないことが分かり、さらに調教が続けられる内に動きが変わり始め、競走馬デビューへの展望も開けていった〔木村(2000)pp.22-24〕。牧場は引き続き坂路で調教することを条件に、滋賀県栗東トレーニングセンターの松田博資へ競走馬としての管理を依頼し、これを了承された〔。 出生当初の予定では社台グループが経営する一口馬主クラブ・社台レースホースで出資を募ることになっていたが、脚部の内向のため立ち消えとなり〔木村(2000)p.18〕、競走登録に際して吉田善哉の妻・和子の個人所有馬となった〔。本馬は顔面の白斑のなかに斑点があったことから、和子の孫がこれを星に見立て、「織姫星」にあたる「ベガ」と命名〔。「織姫星のように輝いてほしい」「七夕で人々が短冊に書いた願いを叶えるように、みんなの願いも叶えてほしい」という意味も込められていた〔。 1992年9月、松田博資厩舎に入る〔。入厩に際し、社台ファーム早来場長・吉田勝己からは「母親の所有馬だし、好きにやっていい」という言葉を添えられ、松田は能力を見極めながらのゆとりをもった調教に専念した〔木村(2000)pp.27-31〕。以後は脚部不安に配慮しながらの調教が続いたが、松田はベガの身体の柔らかさに欠点克服の希望を見出し、また調教助手の目黒正徳は騎乗時にその柔軟性と頭の良さを感じ取り、大きな期待を寄せていた〔。ゲート練習〔発馬機からのスタート練習。〕は何も教わらない状態のまま一回で終えてみせ、必修審査のゲート試験も一回で合格した〔武(2003)pp.30-31〕。 1993年初頭、松田が状態の良い時を見計らって坂路コースで強めの調教をかけたところ、オープン馬と見紛われるほどの動きと好タイムを計時し、同週にデビューすることが決まった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベガ (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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